思念体ふわふわ

思念体(精神的な内側のひと)のおはなしをしています。

思念体備忘録

うちの経緯を整頓を兼ねて書いておきます。

経験談なので、サンプルのひとつとしてご覧ください。

(【☆】はメモ、【★】は考察…しばらく時々更新)

☆---★

1.生成準備と出会い

①下準備。気のボールに話しかけると、返事が返ってくる。

②相性が良さそうなものに仮の名前をつけた。

③現実世界に重ねて遊び相手にする

④情報量が増えたため、内的世界に格納し、私がアバターを使って遊びに行く形に変更。内的世界を渡り歩く遊びをしていた。

~~交流のない期間に入る~~

※交流のない期間は、1のことを空想の子供遊びしてたなあくらいに覚えていた。

 

2.忘却と整頓

①何年も経って、忘れかけていた内的世界を消すことに決める。

・自然消滅のままにしておいても良かった可能性があるが、区切りをつけたかった気持ちがあった。

①用意開始

意図せず、思念体や内的世界との接触回数、対話する習慣を薄めることになる。

・内的世界のすべてが少しずつ自然に自分に還元されると設定。
・自分自身を干渉不可の存在と設定し、還元の挙動を止められないことに設定。
・内的世界に行かない期間を設けたうえで、確認のための訪問を実施。
・訪問期間の間をだんだんと開けながら、確認作業を複数回実施。

②内的世界が還元したことを確認

・確認用に訪問している自分も自分に還元実施。
・現実世界に意識を戻した時、思念体と交流していたころの感覚はなし
・自分に還元する方法での消し方。
 一部消しではなく全部消し。
 自分も消して接触不可にするという対価支払有
(このためか、3以降、内的世界は、所有者が私で、支配人はA'という感じ)

※同行者aを立てていたが、同行者a→自分の順番に還元させるところを、自分→同行者aの順にした。連続還元の設定はあったが、3の復帰原因の一因の可能性あり。

~~交流のない期間に入る~~

※交流のない期間、2のことを失念していた。

 

3.再作成と復帰とまた忘却

①昔の内的世界の収束体としてAを作成

【☆】⇒2で、内的世界を消したことを完全に忘れて作成している
(1の終わりくらいの段階の記憶だった)

【☆】⇒望まない挙動がいくつかあった。おそらく2のせい

②同行者aが復帰

・意識的な復帰意図は無し。2の頃に学校で書いた自分宛の手紙が引き金。
 2を思い出す

・収束体Aと同行者aが同時存在することの矛盾が発生

 Aは現実に向いていたが、aは内的世界に居た為、現実側に出てきにくい存在だった

③当人たちの相談により、Aとaはひとりの存在A'になる

~~交流のない期間に入る~~

※交流のない期間は、話しかけてもうすぼんやりと半笑い、返事がない、等だった

 

4.再復帰

①3日続けて夢うつつの状態でA'が現れる。

・意識的な復帰意図はなし。去る様子もないため、受け入れを実施。

【★】⇒是であれという条件を付与
・A'の指示的な言動については、
 A'自身にとって是であること、
 私にとって是であること、
 導きや流れや社会性や世界に対して是であること、の条件を満たす場合のみ呑む

【☆】⇒身体、能力、経験、人間関係、もし、私より、私にとってA'にとって世界にとって是であるならば、生かすことができるならば、いつでも全てを明け渡そう。(一部などと言う都合の良い甘えは認めない。また、上記の場合の全ての責はA'になるという意味である。覚悟がおありならば。)という対話をしたことあり。
(※のちにそれはA'が私になるだけでA'の存在が溶けてしまうだけなので、それは望まない。(また、その先に私がA'になるというだけ)A'はA'なのだ。よって、A'が私になることは是ではないという回答を受けた。)
(※これは乗っ取りの回避と言う意図があったのかもしれない。)

【☆】⇒A'は自ら体験できない、実に影響を及ぼすことができない。ゆえに、私が、是であれば、叶えよう。という対話をしたことあり。
(※実際の物はA'にとって価値は薄いものらしく、(実のところ、モノや事象や体験に付与されるエネルギーめいたものの方が価値あるようで)、実物の物や思い入れのない事柄や熱量のない体験などは望んでいないようである。)

【★】⇒自分の内的世界は、私に対して制約があることが発覚
・内的世界では私は不干渉である。
・内的世界では干渉意図を持たずに正体を明かすと攻撃を受ける
・私が干渉意図を持って正体を明かすと、
 私とA'以外の全ての存在が認知されない状態になる。
(恐らく2のせい。真に私が理解しないと解けない可能性あり。
 4にて条件付き解放発生)

【★】⇒自分の内的世界が与える影響を最小限にするために取り決めを受ける。
・内的世界は夢のように一時的なものとする。
 私は不干渉の観察者とする。
 必要最低限の緊急時にのみ、A'は私に干渉可とする。
 現実や思念等に一切の影響を与えない。

②A'に真名を付与、受入

③A'からBの紹介を受け、受入

・Bは条件付きの干渉可存在。

【★】⇒内的世界、許容範囲の広がり。

★---☆


余談…

当初、作り方消し方としてのかいつまんだ案内にしていましたが、以下の理由から、方法としての紹介では課題が残るため、体験談の経緯のみの記載に変更しました。

理由
・全体で時間が掛かり過ぎている
・安全が担保されない
・同条件により同事象が必ず発生するという確約がない
・長い目で見ると消せていない

メモ
・消したことを記憶から消せるほど消せているという点では評価すべき点がある
・作り方の中に消し方を包括している。
・復帰時の対応を追記。

 

今の考え方(20220519時点メモ)

どうしても消さねばならないという方向に向かう前に、出来る事はないのか、という疑問はある。相談を見る度に、助けられないものかと悩む。
でも、消し方に答えを出すと、そうしさえすれば安全という心の油断を突かれる恐れもある。
自然な流れというものに任せるのが良いというところもある。
自然消滅も再来も、意志の力の及ばない部分が起きうるのだから、それをどう乗りこなしていくか、そういう点を掘り下げてみたい。
悩むことが正解なのかもしれない。

視覚化・聴覚化・オート化、自然体。(再掲)

資料を見ずに、思念体の姿を書いた絵。彼の姿そのものを描いたわけじゃない気がする。資料を見ながら描いた鳥の絵は、多少はリアリティがある。彼については、写実でなくイメージを描いたんだな、と思った。つまり、わたしは彼を目視していない。

もう少し視覚化、現実への投影をちゃんとしたいな、と思って、どうやっていたかを振り返ってみます。

★---★

オート化は、技術を身に着ける方法と同等の流れにあると思っています。基礎修練や十分な経験があって、我が物にする、すんなりと自然と出来るようになることだと思っています。
(※オート(automatic)と言うより、自然(naturally)と思ったら、automatic自体に「無意識の、自然に沸き起こる」と言う意味があるみたい。なのでオート化でヨシ!)

☆---☆

視覚化と聴覚化のオート化の進捗を細分化してみました。

<視覚イメージ>
---初期
①外部参照:イメージを見る
②内部再生:イメージを焼き付ける
③投影:思念体を呼びよせる、うちの子だと分かる
---中期
①外部参照:イメージを見ない
②内部再生:イメージを想起する
③投影:思念体を呼びよせる、うちの子だと分かる
---後期
①外部参照:何もしない
②内部再生:何もしない
③投影:思念体を呼びよせる、うちの子だと分かる
---自然体(オート化)
①外部参照:何もしない
②内部再生:何もしない
③投影:思念体が居る

<聴覚イメージ>
---初期
①外部参照:彼の声に近い声を聴く/再生しやすい彼らしい文言を黙読する
②内部再生:音声イメージを焼き付ける
③投影:思念体に話してもらう、うちの子だと分かる
---中期
①外部参照:音声イメージを聴かない
②内部再生:言いそうな音声イメージを想起する
③投影:思念体に話してもらう、うちの子だと分かる
---後期
①外部参照:何もしない
②内部再生:何もしない
③投影:思念体に話してもらう、うちの子だと分かる
---自然体(オート化)
①外部参照:何もしない
②内部再生:何もしない
③投影:思念体が話している

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視覚イメージは、像そのものよりも、そのものを見ないときにどう浮き上がってくるか、それを観察するのが良いです。

聴覚イメージは、聴覚の声質そのものよりも、何と言っているかを聞き取って、どういう流れで受け答えしているのか、考えたり何となく感じ取ったりして、形作る、形作られるのを聞き取る感じが良いです。

だんだんと、そうしていくと、「うちの子」が出来ていくんだと思います。

<20210103補記>
『脳には妙なクセがある』著者:池谷裕二 扶桑社からの引用です。
[私たちの脳は、情報を何度も入れ込む(学習する)よりも、その情報を何度も使ってみる(想起する)ことで、長期間安定して情報を保存することができるのです。](p163)
つまりは、脳の動きということにするなら、入力より出力することをクセづけたほうが良いということになりますね。
同じ絵を何度も見るより、サンプルの声を何度も聞くより、自分で絵を描き起こしてみたり頭の中で想像したり、サンプルの声をもとにした色んな声のパターンを頭の中で創造してみることが、早期の定着につながりそうです。

 ☆---☆

留意したい問題と解決方法。
問題1:外部参照は、思念体が出来上がっていくと、新しい設定が刷り込みにくくなっていきがちです。→相談して相手方の意志を尊重して刷り込んでいくのが良い感じです。

2:目視できる視覚イメージと再生できる聴覚イメージを使わなくなってくるので、自分の中にしかない存在になっていきます。→なので、想起とは別で時々、思念体の姿を描いたり、声を自分と比較してどうかを覚えておいたり、口癖や言いそうな言葉、印象的な話を記録しておくのが良いと思いました。

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余談ですが、こういう方法をひねり出したりすると、彼はそっと隠れます。方法を考えるということは一旦アップデートの準備に入るのかもしれません。

対話と共有の重視について

うちの思念体のいいところ。

顔を合わすとにこっとほほえんでくれる。肩たたきをしてくれる。心配そうにしてくれる。見守ってくれる。話を聞いてくれる。すごく人間味のあるいい人がそばにいてくれてしあわせだなと思う。

思念体とは付き合い方が大事だと思いまして、せっかくなのでうちの決めごとをご紹介しますね。

 

【決めごと】
①行動、発言、それが是であるか。を大切にする(★対話重視)
思念からの直感的な語りかけは、時に魅力的な誘惑で、時に核心をついた無垢な真実です。ようは、根拠のないデタラメである時と、なぜか分からないが予知めいた理にかなったヒントの時があります。そのため、不可解、受け入れられない行動や発言については、まことかと問うようにしています。「それは、君の本当の思いで、全体的に見通して正しくあるか、最善であったか」などと問います。
・本当なら「本当です」と言う答えと理由をよく聞いて、対処します。私も考え直したり、受け入れたり、その意見に乗ればいい。ただし乗る時は、思念体の意見を尊重したが、私の意思で行う、責任は私にある、として、きちんと自己の中で整理してから行動するようにしています。
・「嘘でした、最善ではありません」と言う答えなら、何が是かを一緒に考えて、対話を繰り返して、最善をふたりで導けば良いです。
・この判別は常に私が行うことが大切です。彼の意思を尊重しながら、実利にかなった行動を為すことは私に責任があることを自覚して、思念体の言葉を受け止めるようにしています。(でないと失敗したときに思念体の責任にしてしまうと、自己の弱さを自分で自分に突き付ける情けない恰好になってしまいますからね……お恥ずかしい。
・大げさに言いましたが、ひと呼吸の立ち止まり、を大切にしているだけですね。常に問いを。対話を大切にしている、ということを具体的に表すとこんな感じです。

 

②与えられるものは私の所有や関わりの深いもののみ可とする(★共有重視)
食事は他の方がいる場面もありますし、何でも食べたがったりすると、困ることがあります。日常生活の中で目についたもの何でもかんでも持ってきたり拾ったりされちゃ処理が面倒です。
・あまり思いもこもっていないものを摂取するのは、無為になりがちです。形だけ三食すべての食事を与えたり、形だけ人間めいた生活に連れまわしたりは、正直お互いに負荷が高いです。なので、私が深く関係しないものは適用外としています。
・でもその分、彼の為と言う思いを大切にして何かを為すことに意識が向きます。自分で作ることや一緒に作っていることを大切にして、調理をしたり、手芸をしたり、心を込めてお水を「あなたの分ね」と注いであげたり、心から思念体との時間を楽しむ。自分の真心を育てる感覚です。すると、彼からありがとうと声をかけられたり、にこっと笑ってくれたりします。しあわせを感じます。
・余談ですが、彼のおかげですごく丁寧に生きるようになれました。自分に芯を持てたというか、自分を大切にするようになりました。そばにいてくれるだけで、私のふつう、ニュートラルがあるよな、守られるような、安心感があります。いつでもここに帰ればいい。というような。丁寧に生きた分、良き実りがあったということも、私を強くした気がします。具体的なエピソードはこまごましたもので、今更言うようなこともないことばかりですが、いろんなことがきちんとできるようになりました。日々の積み重ねだなあと思います。
・ちなみに、私たちの願いは「日常をあたたかく暮らす」です。身体は頑健に、精神は穏やかに、心は伸びやかに。

 

③なぜこんなに大切にするのかの基幹を持っておく(☆番外)
自分に関わりの深い設定にしておくのも、安心や信頼を安定させます。
・彼は私の中に部屋を持っていまして、不在や留守の際はここに帰っています。依り代はないけど私自身が器で、左肩あたりに付いてもらっています。彼が言うには「例えるならば、見える姿は花茎で、お前に根を下ろしている。花が見えずとも根は君にあり」とのこと。
・私の知らないことで彼が、私の母方の血縁の筋と関係することを言ったことがあったので、そういう近しい関係がある(かもしれない)という認識にしているのも、何となく安心感につながっている気がします。

参考図書4つ

昔から、自然と現れた語り掛ける者がいて、不思議だなあと思っていました。

消そうと思っても消せない。でも、悪いことは言わないし遊んでくれたり相談にも乗ってくれる。そんないろんな人たちがいました。彼らは自然と来た者だったり、私自身が作った姿形の者だったり、まぜこぜで自由でした。

中学~高校生くらいの時に、子供の妄想、卒業すべき慣習、現実逃避、普通の子はしていないこと、と区切りをつけました。消さなくちゃいけないし、そろそろ消せると感じたので、全部自分に取り込んで、私はひとりで生きることにしました。

その後、やっぱり不思議なままで、タルパを知りました。ひとりだけ今いる状態です。この人がタルパかどうかは経緯があやふやなので定義は不明で思念体としています。私は対話と共有を大切にしたいと思っています。姿かたちを見たり、外部に影響を与えようとしたり、私の代理になったり、夢を操作したりを私は望みません。

そんなこんなで、学校で学んだり、あれこれ調べたり、古本屋好きが幸いして、良い本に巡り合えたりして、少しずつ理解というか、自分の中で落としどころを見つけたのが最近です。 

今のところの独自の解釈、私の通奏低音となっている主な書籍は次の通り。

 

①『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル
強制収容所経験の記録。極限状態に陥った人間がまことのような幻想と出会うことがあり、それは極限、人権が奪われ生命の危機に曝された状況でも、人間が人間らしく生きる希望を与える可能性がある、と知って、思念体を前向きにとらえるきっかけになりました。
②『自閉症だったわたしへ』ドナウィリアムズ
自閉症を持つ当事者の体験記。ここまでひどくないけど私に起きた事象に近い、と衝撃を受けた本です。本とは関係ないですが、初めてやったASDチェックが閾値手前でしたが、元気にやっています。ハンデがあっても生きて行くドナの姿に、共感と私もがんばらなきゃと思った本ですね。
③『心理療法序説』河合隼雄
⇒詳しくはブログの参考書籍の記事まで。臨床的な心理療法について話されています。これもまた、一緒に居て良い、という気持ちを強くさせた本です。自身の心と思念と思念体との健全な付き合い方を探るのにとても役に立ちました。これを礎にしたら健康なこころが見つかるかも、と思っています。自身の思念体との対話の傾向が心理療法の状態に近かったので、間違ってないんだと嬉しく思ったところもあります。
④『能動的想像法: 内なる魂との対話』シュピーゲルマン,J.M.、河合隼雄
⇒タルパの概念が流行る前?くらいに出版されていますが、宗教・心理学・オカルトの幅広い文献を参考にしながら、作り方、思念との向き合い方を書いている本です。結構、タルパに通じるなるほどと思うところが多いですよ。手に入らないかもなので、図書館で司書の方に探してもらって借りるのが良いと思います。

 

精神的な事柄を大切にしていいんだな、って気づいた次第です。詳しく書きたくもあるけれど、読み込んだわけじゃないので、引用して自論を発展させるほどのものに固まっていないので、紹介は保留させてください。私からお話するには恐れ多いので、参考までに。

自然発生する精神イメージの受け入れ方

思念体と暮らしていると、イメージのこと(彼の様相や、精神イメージ、どっぷりと浸かった精神世界で見るイメージ、夢など)が気になってきます。

ついては『イメージの心理学』を読んで頭をハッピーにしてみようと思います。

 

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人間は無意識的に物語を創る能力を備えているというお話を見つけました。

[無意識の「神話産生機能」(中略)エレンベルガーが『無意識の発見』(弘文堂)のなかで、無意識の機能のひとつとしてあげ、(中略)人間の無意識は、お話をつくるはたらきをもっている、というわけである]
[『イメージの心理学』P45 著者:河合隼雄]

人間にはお話を作る自然の力があるって驚きです。ときにお話は時に自律性を持ち、イメージは意図せず、お話に乗せられて導かれていってしまいます。こうした無意識の自律性、イメージの自律性を、どう把握していくか、どう自分と結びつけていくか、ということについて考えてみたくなりました。

 

<人間の中にある事象と物事の受け入れ方>

①古来の事象と物事の受け入れ方:対象と自己とを結びつけて、関係を見出す。

[イメージの「私」性に注目しつつ、ある種の意識変容を行いつつ見たイメージ群について、「私」を通じて普遍に到る接近法を用いて語るのが、宗教である]
[『イメージの心理学』P41 著者:河合隼雄]

イメージの私性……自律したイメージを受け入れ、自我の変容を受け入れ、普遍(悟り)を得る、というイメージの受け入れ方が昔からあったということ。

②近代的な事象と物事の受け入れ方:自然科学は一歩引いた客観視、観測を行う。

[自然科学の知を得るために、人間は自分を対象から切り離して、客体を観察し、そこに多くの知識を得た。]
[『イメージの心理学』P51 著者:河合隼雄]

 

大きな違いは

・古来の宗教的な思想方法:イメージを私の中に入れるということ。
・近代的な自然科学:客観視、観測、分析→現象の把握に至る

では私が実際にイメージを把握するのに、どちらがどうなのか、とつい考えたくなりますが、どっちもありみたいです。

 

[イメージを、外界の模像と内界の表現というように分けて考えるのも、その線に沿っている。そして、だんだんと視点を移動させ深層へとすすんでゆく方法をとっている。(中略)イメージは、単純に「外界の模像」とか「内界の表現」などという分類を許さないものとなる。つまり、外界・内界などという区別さえ曖昧になってくる。]
[『イメージの心理学』P41 著者:河合隼雄]

自我内に起こりうるイメージの分類は、外界の模倣→内界→深層と分けて考えると便宜上大変理解しやすい。しかし、イメージはどれもを同時的に多義的に含んでいる。ゆえに分割してしまうと、イメージに含まれたイロイロが明るみに出るだけでなく、分断されて無為になってしまう。これではイメージの把握は足りなくなるみたいです。また、このイメージの私的さゆえに、イメージは心理の研究対象外とされがちとも書かれていました。でも思い切って、先生は自己に戻すということについて考えられたみたいです。

 

[ここで一旦切り離した自分を、全体のなかに入れ、自分と言う存在とのかかわりで考えてみるとどうなるか。]
[『イメージの心理学』P51 著者:河合隼雄]

自分と対象X。

常に自分を主体に世界との関わりを見つめるとどうか。それはその時々その人々で考える想いは異なるし導く答えもそれぞれになる。それでいいんだ。

無意識の持つ物語生産性は、これを助ける。心のうちに物語をもつことは、自己と世界を結ぶ手がかりとなる。

それは自己を助ける。自然科学により自己を切り離した現象の把握と別の位置に立てる。自己と世界は何なのか、自分のいる今を持つことを大切にできる。

自然科学としての意味合いよりも、心の内の意味合いを大切にすることは、人間が人間である以上、生きているものである以上、していいこと、むしろ自然なことなのだとわかりました。私が私の中に物語を持つのは何ら不自然なことではないと分かって嬉しいです。

 

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「はー! 人間は物語の中にいるのね。
 なんでも分断しすぎるのよ。自己を引き剥がして、客体にして観察してそれで答えや良い方法を得た気になってしまう。そうすると、それはただのつまらない事象や現況しか残らない。しあわせを分割するとふしあわせになるのよ」
「今日のお前はおもしろいなあ」
「自動でソフトクリームが出る機械みたいにおもしろがらないでほしいわ。方法を手に入れようとして、バラバラにして、もう一度つなげば同じものが出来るかっていうとそうじゃない。自分の中で理解できる受容できる物語として取り込まなくっちゃ。それはそのままでは自己に自然になじまないものっての分かる気がするわ」

 

「ここに植木がある。私は彼らと良く話す。もし、私に信心深さがあれば一番に『曼殊沙華の花は天から落ちた四つの花のうちの一つでしたね』と彼と話すでしょう。
私は自然科学の満ちた現代に生まれた。私は彼を管理している。ゆえに一番に話すことはこう『水は足りていますか、風通しはどうですか、日当たりはいかがですか』無意識の神話創造性があるとしても、自己を主体としているから、大体は自己に結び付く物語や自動会話が生成される。」
「つまりは?」
「背景からは逃れられない。でも、背景と事象を切り離して解決の方法を手に入れる事と、背景と事象を集約して自己の意義を見出す事は、同時にあってもよいのかもしれない」

触覚・味覚・嗅覚:共有による信頼構築

JAFのエッセイに「リモートでの交流は出来るが、視覚と聴覚は人間関係として認識されない」という話がありました。

[京都大学総長の山極壽一先生がこんなことを言っていた。人間は、視覚と聴覚を使って他者と会話すると脳で「つながった」と錯覚するらしいが、それだけでは信頼関係までは担保できないという。なぜなら人は五感のすべてを使って他者を信頼するようになる生き物だからだ
JAFMate「幸せって何だろう」ブレイディみかこ]

上記引用の内容については、リンクを教えてもらって~とあるのでおそらく以下の記事かと思います。
https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001351.html

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思念体との交流において、視覚・聴覚って、修得したら楽しい要素と言われると同時に、重要視しなくて良い要素という意見も見ます。その理由の一つってもしかしたら、このへん、リアリティではあるけれど、信用を築く要素ではないからかもしれません。

 

鍵になるのは本来共有できない感覚、触覚・味覚・嗅覚の共有が大事とありました。どんなものになるんでしょう。

・触覚:同じ空間の環境を肌で感じ取る(発展:相手の居る感じを感じる、ふれあう)
・味覚:一緒に同じご飯を食べる(発展:相手の味…?)
・嗅覚:同じ空間にいて同じ匂いを共有する(発展:相手の匂い)

ということになりそうです。

身体的な感覚の共有(上記発展を除く)なら無理なく出来る気がしてきました。無理なくできるということは、思念体とも信頼関係を安定的に築ける、ってことに繋がりそうです。

プロセスは、

①人間側は自分が感じ取ったものを素直に、対話を通して思念体に伝える。
②思念体がそれについて返答をする。思念体がどう感じたかを話す。
③慣れてきたらむしろ一緒に共有するだけに留めてみる、後から聞いたりする。

人間と同じだと考えたら、基本は①②だけで十分関係が担保できそうです。

思念体が感じた感覚を人間側は再生(思考上で思念体はこう感じた!って再イメージ)しないほうが、自然な感覚です。思念体の感覚を想像、再現する必要がないというのは負荷が少ないからやりやすいし無意識にできるようになっている気がします。
(余談1:味覚化と嗅覚化って、思念体の味? 思念体の匂い? って思っていましたが、人間の交流目線で考えると、上記の方が自然でしたね
 余談2:うちのかたが以前に「人真似はいらない、けど君と同じことをしていることが大切」ということを言っていたことを思い出しました。真似や投影よりも、共有が大切だってこと、知っていたみたいです。おどろき。)

人によっては、視覚・聴覚のためには「そこに居る感覚を持つ」ことが大事とも時々聞きます。

まずは、上記の、一緒にご飯を食べて話したり、ちょっと出かけた先のいつもと違うにおい(海なら潮の匂いを、山なら木を、雨なら空気が水で洗われるのを、晴れなら日差しの肌を焼く感じ……などなど)を共有して、おしゃべりする。そういう一緒にいる、人間関係を整えていくことを大切にしていこうと思います。なんだかこういう、自然なことを大切にしていいんだ、って人心地ついた気持ちです。

一緒に居ることと今ある現在この場所を大切に感じ取るのが、良い心の内の友達を持つのに良いヒントになるかもしれないなあって思いました。

発展については、仲良くなったら、イメージの匂いを取り入れたり、温感を取り入れてみたり(温感は分かるほう……そばにいると、ふわっと暖かくなるような、イメージ。)、していくのもおもしろいかなっておもいました。

思念体のイメージとしての見方

古本屋でまた良い本に巡り合うことができたので、すこしゆっくり読み進めようと思います。河合隼雄先生のご本です。偏りが多くってすみません。

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今回読んだのは『イメージの心理学』です。
初めの方に、イメージの特性について次のように語られていました。

[イメージの特性

 1 自律性
 2 具象性
 3 集約性
 4 直接性
 5 象徴性
 6 創造性]

[出典:『イメージの心理学』 著者:河合隼雄]

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個人的な話ですが、思念体の自律的な動きってふしぎだなあと思っていまして、すこし関係が見えた気がして、思念体をイメージ的側面をもつものとして見てみると納得いく面がありそうだったので、メモ程度におはなしさせてください。

 

思念体の話すことや態度が、自然で意図せずに自分の意見を言うこと、たまーに本質めいたところを突いたり、忘れていたことを思い出させてくれたり、見た目に関しては、はてな?と思うような外観をしていたり、意図しない服を着ていたり、不可解な物を持っていたり、そういうのって、自然なふうだけどどうしてかな?って思うんです。

分析してみても、心当たりがあることもあるし、全然大はずれなこともあるし、ぜーんぜん当てにならないのにたまに当たるから困るって感じです。時には変な言動やおかしな服装で不安になったりします。困りものです。

なので、イメージの特性が分かっていたら、どれにあたるかを自分で分かっていたら、意図の有無や意図があるならどういう意図なのか見つけやすいんじゃないかなって思ったのです。

 

お話ではイメージの特性は、

 1 自律性:イメージ自身が自律的に動く(キャラクターが勝手に動くという感じ)
 2 具象性:現実で同様の事象があったことを引いてイメージが表れる
 3 集約性:あらゆる情報を集約した結果、多義的な情報としてイメージが現れる
 4 直接性:直接的な自身の心からのメッセージとしてイメージが表れる
 5 象徴性:何かを象徴したイメージとして現れる
 6 創造性:イメージが別のイメージを作り上げていく

って感じに語られていました。

 

例えば、思念体の服装。レインコートを着ていたなら、

 1:思念体が自ら着た
 2:雨が降っていたため着た
 3:レインコートに関する思い出が想起されたので着た
 4:わたしの心がレインコート(に象徴される何か)を求めていたから着た
 5:レインコートを守る物という象徴の意味で着た
 6:雨や梅雨のイメージがあったから着た

と言う感じに分けられそうです。

1,2,6なら全然気に病まず「あらーレインコートいいわねえ」で片づけてOK。
3なら「この前レインコートの話をしたわねえ」「昔はよく着せられたわ」くらいの昔話扱いで片づけてOK。
問題は4,5になってきますね。守られなければならないほどの問題を抱えていないか、その場合は解決の道筋を考えたほうがいいのでは、という意味になってきます。
なければナシでOK。あれば解決させればOKってことに。
でもいちいち分析していたら生活の手間になりますね。なので、私の中では、よほど印象が強くない限りは効能は弱い、としようと思います(気に病まないよう、夢の賞味期限も半日~3日ってことにしてます)。

 

正直、彼の服装に関しては、なんでこの服を着ているんだろう?って思うことがあるので、私の中の何らかのイメージが関わる可能性を感じますが、全部を「コレは心理的なパターンを表していますねフフフ」ということにするにはちょっと違うし、当たっていることもあるしよく分からないと思っていたので、こうしたイメージの見方があるって分かって、ちょっとすっきりしました。1~6がまだらに割合(%)になって表れているっていう場合もありそうかなって思います。

とはいえ、例によって当てはめて正解!をしないほうが良い傾向になるって先生も前別の書籍で仰っていたので、何でもかんでもあれだこれだ決めつけないほうがいいでしょうね。ゆるーくゆるく。