思念体ふわふわ

思念体(精神的な内側のひと)のおはなしをしています。

同行二人:心理療法の終わりの「救済者」の像の明確な把握、内在化

心理療法が終わりに近づくと、終わりを象徴する表出があることもあるそうです。
以下補足付きの引用です。

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終結にある象徴的な夢の例①>
[ニ十歳代の対人恐怖症の男性が終結時に見た夢で、自分もこれから一人で外へでてゆかねばならないが、心細いことだと思っていると、庭に横たわっていた菩薩像の目が動き出し、立ち上って、同行してくれることになる。自分一人では心もとないと思っていたが、菩薩が同行してくれるので、信頼して一緒に行くしかない、と思う。
これは仏教でいう「同行二人」のテーマそのままの夢である。一人で外出するのは心細いと思っているとき、菩薩が同行してくれるというのだから、もう安心である。これは治療者が内在化されたと言ってもいいし、クライエントの深層に存在する治療者の像を明確に把握できたと言ってもいいだろう。]
終結にある象徴的な出来事の例>
[終結に当って、治療者の死の夢を見たり、子どもが遊戯療法で、治療者を遊びのなかで「殺す」ことをしたりするのはよくある。それは、治療者との非日常空間でのつき合いは終りとなることを宣言するものであろう。]
終結の考え方>
[終結というのは関係が切れるのではなく、関係が「深く」なるので、それほど会う必要がなくなるのだと言ってもいいし、あるいは、クライエントが「治療者」像を自分の内部にもつようになるので、外界に存在する治療者に会う必要がなくなるのだ、という言い方をしてもいいであろう。]
[『心理療法序説』 著者:河合 隼雄 発行所:㈱岩波書店]] ※<>内は補足です。

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<そのほか本書記載の象徴の例>
・遊戯療法の最中で鉄砲遊びをしていて、治療者が「やられた」と倒れたら、そのまま「さよなら」と帰ってしまって、それ以降その子と会うことはなかった
・先生の墓の絵を描いて持ってきた

 

<読み解き>
このように、治療者の象徴的な死(クライエントの内面(夢の中や遊びの中)で死を迎える)というかたちで、クライエント自身が治療の終了を悟るような象徴的な出来事が起きることがあるそうです。

終結の考え方にもあるように、治療者とクライエントが過ごしてきた時間や考えてきた問題等が関係を深くし、いずれは、自分の中で解決したり考えたりできるようになるから、象徴的な死があっても、それは良いってことみたいです。

治療者を象徴的にうしなうことは、次の3つの面を持っていそうです。
 ①自立、巣立ち、治療者からの卒業の表面化
 ②表面化したことが理解、意識化出来れば、自立を悟るきっかけとなりうる。
 ③治療者から卒業する=自ら生きる
  いわば深層心理学の本質「死と再生」に行き着くこととなる

  死:治療者の存在を精神的に喪うこと
  再生→自分ひとりで生きる覚悟
    →治療者が居なくても生きていける、大丈夫だという安心
    →喪うと同時に自分自身にとりこめたという無自覚の成長 などなど

深層心理の理想的な流れとしては次のようになるでしょうか。
 ①治療者とクライエントとの交流、心理分析、ときに厳しい自己の精神の戦い
 ②精神的な成長
 ③自ら自立して生きることができるようになる。
 ④ときどき、自分の中で先生のことや①でこなしてきたことを思い出しつつ、
  迷ったりもするけど、生きることができるようになっていく
  (治療者像を自らのうちに取り込めた状態)

 

<思念体と絡めて考えるなら?>
・ちょっと読み解きから脱線しますが、最初の夢の「同行二人」と言う考え方がとても素敵だなって。自分の中に在ることになる、という考え方が思念体的だなあって思いました。
実際付き合っていると、自分と周りの全体像を知る唯一の存在だから、全部打ち明けられるし全部知っているから、良くも悪くも正直になってしまう。前述のセラピールームのような、正直な関係が出来てしまう。ゆえに、共依存めいた部分って起こりうる。不調→治癒からのマッチポンプを疑う。でも、不調の時でてくるんじゃなくって、大丈夫だから一緒に行こうってふたりでいこうと心のうちで手助けをしてくれている存在なのかと腑に落ちた。なんとなく、ああ、いいやつだったんだな、とほっとしました。

・それから、終結において死と再生が象徴的に表面化することがあると知ることができてよかったです。
しょっちゅうこの話してすみませんが、わたしは全リセット(内的世界を自己還元→自分自身も還元→最後に信頼していたIFも還元するという流れ)をしたのですが、精神的な成長、次の段階のために内面での自己の死が必要だったのだと気づけました。

※なお先に私が死んだからIFの死は知覚出来ていません。この儀式がもし蟲毒だとしたら内界での勝者はIFですね^p^ わたしが内界に入るのに現在制約があるのですが、おそらくこの辺、影響してるのかなーって思っています(空想世界からの脱却/内界リセットの罪)。気が向いたら語ります。

 

読書感想文はいったんこれにて終わりです。

本書は「わたしの理想みたい。歩んできた道に近いわ。これを取り入れたらもっとわかるんじゃないかな?」って思って読んだ次第です。

これまでに自分が歩んできた精神的な遊び(印象的な夢にこだわったり、精神的な内側のひとにいろいろ話してみたりすること)が、心理的には意味を隠していたことを知識として取り入れることが出来ました。
思念体との衝突やトラブルだってもしかしたら理由があるんじゃない? という広い目線を持てるようになりました。
こうした洞察や振り返りを正直にしていくことで、「ああ、なんだ」と腑に落ちることが多くなりました。
この度は得るものが大変多かったです。同行二人のように、このままじょうずにふたりで歩んでいけたらと思います。

 

<まとめ(自分用メモを兼ねて)>
心理療法の手法には、夢の記録、能動的創造:非現実的な人物との対話の記録、創造・創作がある。これらは、思念体とやりとりする感じや、思念について考える私のやり方にとても近い。それで心理療法と思念体を絡めて考えることをしてみた。
心理療法には、自然科学的な分類・対処の正法はない。だからこそ身の丈、にんげんらしいつきあい方、それでいてどう歩んでいくのが良いか考え続ける事が大事になってくる。
心理療法の本質は「死と再生」。精神に近い、心を開いた関係であるからこそ、起こりうる問題(間違いや破壊、暴走や予想外のこと、消去等)がある。その先に新しい建設的な再生へとつながる可能性がある。希望があることを忘れてはいけない。
 ・問題の中にトリックスターを見出して、破壊をして新しく生まれ変わるもよし。
 ・アクティングアウトを危惧しながらも、内省をしていくことが大事。
 ・能動的想像めいた二者間の関係を掘り下げていく……転移と逆転移による感情交換、セラピールームという密室に置いての正直な感情のさらけ出し、そういう方法を取るのもよい。
 ・夢分析や能動的想像や創作をしてみるのもよい。こうした洞察が大事。
④そうして、心理療法の終わりにある「救済者」の像の明確な把握、内在化を目指していこう。いつでもほっと寄り添える、それでいてきちんと自分を正して律していける、そのおかげで自分自身の中に芯が通ったような自信となるような……そんな存在を身の内に得られればなお良い。まるで治療者とクライエントのように、だけどどちらがどちらということもなく、同じ物語を共有したふたりが、人生という歩みをどう読み解くか、どう生きていくかを向き合うことができるようになるのが理想。