思念体ふわふわ

思念体(精神的な内側のひと)のおはなしをしています。

触覚・味覚・嗅覚:共有による信頼構築

JAFのエッセイに「リモートでの交流は出来るが、視覚と聴覚は人間関係として認識されない」という話がありました。

[京都大学総長の山極壽一先生がこんなことを言っていた。人間は、視覚と聴覚を使って他者と会話すると脳で「つながった」と錯覚するらしいが、それだけでは信頼関係までは担保できないという。なぜなら人は五感のすべてを使って他者を信頼するようになる生き物だからだ
JAFMate「幸せって何だろう」ブレイディみかこ]

上記引用の内容については、リンクを教えてもらって~とあるのでおそらく以下の記事かと思います。
https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m001351.html

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思念体との交流において、視覚・聴覚って、修得したら楽しい要素と言われると同時に、重要視しなくて良い要素という意見も見ます。その理由の一つってもしかしたら、このへん、リアリティではあるけれど、信用を築く要素ではないからかもしれません。

 

鍵になるのは本来共有できない感覚、触覚・味覚・嗅覚の共有が大事とありました。どんなものになるんでしょう。

・触覚:同じ空間の環境を肌で感じ取る(発展:相手の居る感じを感じる、ふれあう)
・味覚:一緒に同じご飯を食べる(発展:相手の味…?)
・嗅覚:同じ空間にいて同じ匂いを共有する(発展:相手の匂い)

ということになりそうです。

身体的な感覚の共有(上記発展を除く)なら無理なく出来る気がしてきました。無理なくできるということは、思念体とも信頼関係を安定的に築ける、ってことに繋がりそうです。

プロセスは、

①人間側は自分が感じ取ったものを素直に、対話を通して思念体に伝える。
②思念体がそれについて返答をする。思念体がどう感じたかを話す。
③慣れてきたらむしろ一緒に共有するだけに留めてみる、後から聞いたりする。

人間と同じだと考えたら、基本は①②だけで十分関係が担保できそうです。

思念体が感じた感覚を人間側は再生(思考上で思念体はこう感じた!って再イメージ)しないほうが、自然な感覚です。思念体の感覚を想像、再現する必要がないというのは負荷が少ないからやりやすいし無意識にできるようになっている気がします。
(余談1:味覚化と嗅覚化って、思念体の味? 思念体の匂い? って思っていましたが、人間の交流目線で考えると、上記の方が自然でしたね
 余談2:うちのかたが以前に「人真似はいらない、けど君と同じことをしていることが大切」ということを言っていたことを思い出しました。真似や投影よりも、共有が大切だってこと、知っていたみたいです。おどろき。)

人によっては、視覚・聴覚のためには「そこに居る感覚を持つ」ことが大事とも時々聞きます。

まずは、上記の、一緒にご飯を食べて話したり、ちょっと出かけた先のいつもと違うにおい(海なら潮の匂いを、山なら木を、雨なら空気が水で洗われるのを、晴れなら日差しの肌を焼く感じ……などなど)を共有して、おしゃべりする。そういう一緒にいる、人間関係を整えていくことを大切にしていこうと思います。なんだかこういう、自然なことを大切にしていいんだ、って人心地ついた気持ちです。

一緒に居ることと今ある現在この場所を大切に感じ取るのが、良い心の内の友達を持つのに良いヒントになるかもしれないなあって思いました。

発展については、仲良くなったら、イメージの匂いを取り入れたり、温感を取り入れてみたり(温感は分かるほう……そばにいると、ふわっと暖かくなるような、イメージ。)、していくのもおもしろいかなっておもいました。