思念体ふわふわ

思念体(精神的な内側のひと)のおはなしをしています。

心理療法の手法は、ちょっと似ている

ゆーっくりまだ心理療法の本を読んでいる途中なのですが、心理療法の手法として、
 ①夢の記録
 ②能動的創造:非現実的な人物との対話の記録 ←!
 ③創造・創作
とがあると知りました。

②非現実的な人物との対話の記録という項目って今までしてきたことだなあと思って、ユング創案とのことで、そんなに以前からあるだなんてびっくりです。

 心理療法ですが、治療者とクライアントの関係においての療法で、素人が臨床経験や訓練や礎となる学問を収めずに真似事を他人に施したらどちらも挫けるよ、ということも書いてあります。だから、一概にそうか!じゃあやってみよう!って取り入れたら、その大きいものに飲まれてしまう危険だってありそうです。にんげんひとりで取り扱えないもの、気を付けないといけないなって思います。

でも、これらを知らずのうちに始めたからには、大切に扱うためにいろいろ情報が欲しいです。特に②については、心理に根付く何かなのかなと思いますし、思念体という存在を、空想や妄想や幻覚やと甘くみたりないがしろにしたらいけないんじゃないかなと思うもので、いろいろ考えたりしたくなります。

 せっかくですし、これは! と思ったので、本を読みながらの要約を兼ねて、わたしは何を気を付けたらいいのかな? と思ったことを次に書いていきます(気を付けたいことを付け加えているので文章そのものではないですすみません)。

 

<夢の記録>
・夢(無意識)の記録(意識化)をすることで、無意識レベルの関与が大きい部分を、拾い上げることができる。
<非現実的な人物との対話の記録>
・非現実的な人物と自由に(無意識と意識のバランスを保ちつつ)対話した内容(無意識)を記録(意識化)することで、無意識と意識の相互作用で現れた無意識レベルの関与が大きい部分を焙り出す。(本では、対象は、夢の中で出会った印象的な少年等とのこと。)
 ※バランスはなぜ大事?:意識しすぎると意識に引っ張られて無意識を表層に出せない(自分の意識通りに動かしてしまう、不自然になる、対話の内容を作ってしまう)。無意識すぎると意識的な対話が導けない(無難で、とりとめもなくなる)。また、実在の人物は外的現実と混乱(話したことが混ざって支障)が出るから避ける。対象との会話中は無意識を導けるよう意識しすぎず対話し、その後に記録分析するのがよさそう。
<創造・創作>
・上手下手にとらわれず、自由にモノづくりをして、意識の状態で無意識を表層に導く
 ※上手下手は大事じゃない?:内的イメージを導くためだから、外的な要素(評価や点数や意見)に心を取られると不純物になってしまうみたい。

 

共通するのは、無意識の自律性(はたらき)がある中で表出されたものは、無意識レベルのことを拾い上げられる可能性がある。ということみたいです。(なんだかよくわからない苦しみではなく、無意識のうちにある心に根付く何か(根深い問題や縛る背景等)に気づくことができる/なんだかよくわからない気分の良さではなく、無意識のうちに在る自分の可能性(過去の素敵な記憶、才能、得意)が見つかるということかも。)無意識の表出の観察→分析→適宜の対応というのが、表向きの心理分析と対処の方法のようです。

でも、本当にこころを動かすのは、この各方法を通じて、表現する→自覚→自分の可能性を見つけることが、よいこころの動き、自らのこころの癒しになるそうです。

以下引用です。(本文では創作について言及されていましたが、3方法に共通すると、思いたいです)
[すでに知っていることを表現する、というよりそのような活動をしている間に自分でも今まで気づかなかったことが出てくる。あるいは、新しい可能性が生まれてくる、のを感じるのである]
[心理療法の過程のなかで、小説を書いたり、絵を描いたり、いろいろな創造的なことをはじめられる方が多く、感心している。心理療法が終って後も、それを趣味として続けている人は多い。]
[『心理療法序説』 著者:河合 隼雄 発行所:㈱岩波書店]

 

夢や思念体との対話を記録したり、好きに創作したりするのは、自らを客観的に分析するだけでなく、その行為を通して、自らのうちの世界を豊かに出来る、耕せるのかも、とちょっと希望が見えてきました。

表出による分析結果への恐怖と言う場合もあるのでむりせずにです。怯えが出たら難を転じる精神で行こうと思います。

また、入門編の本なので詳しい方法は書いてありませんので、深くはゆっくり知っていこうと思います。