思念体ふわふわ

思念体(精神的な内側のひと)のおはなしをしています。

死と再生→暴走への正しい対処による新しい歩みの可能性

[ともかく心理療法はその過程に、「死と再生」のパターンをもっているのだから、その経過のなかで争いや対決などが生じて当然なのである。家族間の争いや攻撃心が治療者に向けてこられるときも、その「意味」を知って、たじろがずにいると、自然に解決が生まれてくるものである。]
[『心理療法序説』 著者:河合 隼雄 発行所:㈱岩波書店]

 

ある問題が発生しても、それは、何らかへの熱意や行動力(いわばエネルギー)を秘めている証。死と再生を念頭において対処すると、自然と解決にむかっていくこともあるみたいです。

心理療法は「死と再生」という苦しい過程を経るというのなら、思念体の暴走や消失なんかもあながちおかしくない現象と思わない?」

「? それはちょいと書き留めてくれんかな。」

「システマチックな、エラー→消去、っていう明確な解決方法があるわけじゃないのが、深層心理の領域だって読んだわ。深層心理の心理療法は、一緒に歩んで、状態を元に問題を見つけて、それに直面下したりしなかったりさせつつ、一緒に考えたり軌道修正をしたりする。そうして、そのひとが問題を知ったり受け入れたり解決させたりしていこうとする、もしくは、そういった尽力するというよりよい方向へ進んでいければ良い、ということらしいわ。」 ※もちろんほかにも方法はいろいろあるみたいです。 

「暴走したからってすぐ消すと、(その名称を持った)個は消えても、思念体が自我の表出だとしたら心の中にあるままでしょう?(端末のデータ消去が、データアクセス方法を削除するだけで、データ自体は内部に残っているみたいな状態。症状を消しただけで根本的解決や問題に向き合う段階に至らない)

 暴走を引き起こす背景が、本人の中にある可能性を考慮して、現象に対して丁寧に紐解いて語り合っていかないと、ほんとうの解決にはならないんじゃないかって思うの。暴走そのものを考えて、背景にある問題に気づいて、適宜対処するのがいいかなって。
 →分かった問題が対処可能なら処理する
 →難しい場合は、気づいたという強さをバネにして凌ぐ。
  今自分にできそうなことに力を注ぐなど
 →その問題自体を受け入れるのがむずかしいときは、直面化を避ける。」

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「それはさておき、経験のことになるけど、そのままでいるのが辛い、直面化がこわい時は、わたしも初期にしたけど、やっぱりおやすみすることがいちばん無難ね。みなさまも言われているわ。
 人間関係のひとつとして、扱うのが大事。『ごめんなさい、あなたの行動や言動はいやだわ、しばらく距離を置きましょう。お時間くださいな。』と言って休ませてあげるのがいまのところよかった気がする。
 時間をおいて戻ってきたら受け入れて、こういうことを何度かしつつ、お互いの良い距離感、納得のいく良いおとしどころが見つかって、良い関係を維持できるんじゃないかなって思うの。」
「そうだなあ。」
「あらあなた昔のことは責めたりしないの?」
「統合前だからなあ、べつに。 許すよ。」
「まあありがとう。」

自然科学的に分類が可能で分類に応じた対処があるのではなく、個々人の身の丈感、内面を大切にして、少しずつ2人の内緒で紐解くもの。ひとのこころ、ということを大切におはなししないといけないなって思いました。