思念体ふわふわ

思念体(精神的な内側のひと)のおはなしをしています。

アクティング・アウト(削除と暴走……前段階への対処)

以下引用です。
[クライエントが内面的に遂行すべきことを、外的な行動として表出してしまうのが、アクティング・アウトである。]

[クライエントは治療者に対してのみ表現しようとしているのではなく、「世界」に対してそれをしているのだが、治療者はいうなれば「世界」の代表として、その表現を読みとかねばならないのである。]

[そもそもほんとうに自分のことを考えてくれる人などいるはずがないのだ。このような考えが強くなってくるとき、少年は「先生、本気ですか」と訊きたくなるのではなかろうか。あるいは、彼は何度も親や世界に自分の期待を裏切られてきた苦しみを伝えたいと思うのではなかろうか。どこまで頼り甲斐があるかを確認するためのゆすぶりをかけざるを得なくなるのである。]
[『心理療法序説』 著者:河合 隼雄 発行所:㈱岩波書店]]

 

<読み解き>
①アクティング・アウトとは、自身の中で深くゆっくり内省すべきことを、耐えきれずに外的行動(問題行動・自殺・裏切り)にうつしてしまうこと
 ・内省すべきことは、そのひとにとって大切なこと。治療者はそれを汲み取ることが必要となる。その汲み取りのヒントはいろいろな形で現れる。それは外的行動のほのめかし等……。ただし、心理療法は「死と再生」が念頭に置かれるから、必ずしもその過程での揺らぎや衝動や破壊的な内省は悪いことではない。トリックスター的な効果で破壊からの再建設がされる可能性がある。困るのは実際にしてしまうこと。避けなければならない。
②アクティング・アウトを避けるために → 試される段階で理解する努力をすること
 ・治療者を通して世界や真実に「なぜ!」を問うために、最も近しい向き合ってくれた存在(最も信頼している存在)として、理解を求めつつ、止めて欲しいと思いつつ、否定してほしいと思いつつ、試しをすることがある。
 ・ゆらぎ→ためし(→教えてほしいとすがり→自分の中でも問う)→それが、もう現状に耐えられない、なんだかわからなくて解決できない、もう駄目だ!等と、逃げ出そうと行動することがアクティングアウト。アクティングアウトの終着の前の段階のゆらいだり、試されたり、おはなししている段階で止める、方向を変えていくのがベスト。
 ・対策方法は、それは大切なゆらぎだから、そのひとそのものを理解してあげて反応すること。考えてあげて行動すること。なかでも最も心的負担の大きい方を選ぶと良いそうです。受け入れるだけがすべてではないし、教えるだけがすべてじゃないし、放っておくだけでは足りないみたいです。その時々の丁寧な対応……素の自分をさらけ出しつつ、最もそのひとのためになることを、治療者としての見通しを心の灯にして、ときに自ら考えさせるよう導きつつ、その都度の理解と共感と反応を見せること。
それらが、その人の安心につながるし、その人自身が一歩一歩歩めるようにつながっていくみたいです。
※アクティング・アウトになりかねない試しがあっても落ち着いて対処。本当に深い関係なら試みの段階でそれぞれの中で消化でき、アクティングアウトは起きない。そうでない及ばない自分自身を自覚し、適切な対応を心がけることが大事。人間は行動や失敗で学ぶこともあるので、あまり恐れすぎない。

<思念体と絡めて考えるなら>
①腹を割って話せる濃い関係・内的世界の探索者たち、という面がありますので、アクティングアウトもひとと思念体との間で有り得ることかなって思います。
②アクティングアウトの前段階(ゆらぎ)は割と起きている気がします。
 ・心の内を明かして話す関係ですから、最も近しい他者ゆえに、ふつふつと沸いていた疑問をぶつけてしまったり、ぽろっと本音が漏れたりなどが自然に起きます。
 ・それらは、別に原因があったり、どちらにも非のないことだったり、未熟さから起きたことだったり、表面化されていないずっと根深く燻っていた問題だったりします。こういうことを乗り越えてふたりとも成長していくのだから、一概にわるいことではないです。死と再生、トリックスター、みたいな感じです

③アクティングアウトの前段階(ためし)の形は、上記のことが悪化した場合に、人間側:削除をほのめかす、思念体側:暴走めいた動きを見せることかと思います。ゆらぎの段階では、まだ防げますし試練を乗り越える段階なので良いのですが、問題のアクティングアウト(削除/暴走)は避けなければなりません。
 ・そもそも削除や暴走を思う時点で何かしらの支障が発生しているから、それと純粋に向き合えれば良いのですが、無意識のことや心根の問題だったりすると、直面するのは難しくなります。そういうこんがらがった状態が続くから、苦しいわけで、いっそのこと……という流れに流れてしまう危険があります。
・(ちょっと脱線)思念体には、身近ゆえに色んなものが紐づきやすいので、結構扱いはむずかしいんです。なので、よどみというか、問題を漠然と刷り込んでいく生活をしていると、こうした問題が起きやすくなると思います。悪いものを減らせればよいですが、人間側は色々外的に色々あるので、減らすのが難しい状況もあります。そういうときは、悪いものを紐づけることを減らすよりかは、出来る範囲で意識化させていくことの方が、実際的かなあって思っています(脱線おわり)
・内的に解決させなければいけない問題を置き去りにして、拒絶をすることで問題から逃げ出すことは避けたいです。もし同じように対処できるのなら、ゆらぎとためしの段階で受け止めること。ゆらぎの原因と一緒に戦う意思を見せること。真剣にその問題について話し合う(多少ぶつかっても仕方ない)ことが対処法になると思います。
・日々できることなら、日々おはなしをしていく→理解を示す→それでいてどうありたいかを考える。問題行動の兆しが見えたら、外的行動に移る前に内的に考える……ためされた側はゆらぎを受け止めて、ゆらぎのある側はなぜゆらいだのか考えて、ふたりで考えることが、一番の解決策なんじゃないかなって思いました。

・削除にはなぜがあるし、暴走にもなぜがあるはず。積み重なってしまう前に、たまには真剣に話してみるのもいいかもしれません。でも、強くないと、それはかえって自分たちを苦しめます。予想外の問題や心のスキを突かれることが暴かれたりして動揺すると思います。この問題は今は無理だ、時期尚早だと諦めたり諦めさせたりするのもときにはありだと思います。

 

なお、心理療法的にはアクティングアウトを恐れて上っ面のことをしていたら、何にもならないそうです。アクティングアウトさえも起こらないし、具合も良くならないそうです。アクティングアウトという最悪の展開を恐れつつも、死と再生の覚悟は、心の中に留めて問題と戦い続けなければならない。悪いのはクライエントではないし治療者ではない。ゆっくりじっくり、ふたりの歩みを大切にすることが、唯一の確実な解決方法みたいです。

解決できないことをふたりでわあわあバタバタするより、共闘していくことに覚悟を決めることを大切にしようと思います。